「敵を知り己れを知らば、百戦して危うからず」孫子

昔からなぜか歴史に関心があり、中国の歴史(特に春秋時代)関連図書を読むことが多いです。
会社では「歴女」呼ばわりを受けて多少フクザツな思いもありますが(--;
単純に学術的・思想的な興味と、現代社会において学ぶところも多いと思ってますので!


ところで、中国の名言・格言で役立ちそうなものはないかなと思って何となーく思い浮かんだのが、
2000年以上昔の春秋時代の中国に孫武という人物が記したという「孫子の兵法」で有名な一節。


「敵を知り己れを知らば、百戦して危うからず」


この一節について自分なりに考察してみました。
敵を知り、自分を知れば百回戦っても負けることがない、という意味になるのですが、
敵を知るだけでなく、自分をも知るというところがポイントです。
普通は敵に対して調査したり、弱点はないか探ったり、どう攻略するかを重点的に考えがちですが、
じゃあ、それに対して自分の戦力・戦略・状態はどうなの?ということです。


もし1万の兵に対して数百の兵で挑むとき、数量的に圧倒的に不利であり、無謀であるかのように思えます。
それでも勝つためにはどうしても優れた戦略・知略、それを実行するための確立された指揮系統が必要です。
この場合は、敵軍を内部分裂するための心理的な情報戦略や数的有利さで油断しているところを突く作戦が有効でしょうか。
とにかく、自軍の弱点を認識した上で作戦が軍全体に行き渡り、一人一人が自分はどういう位置にいて、自分は何を果たすべきなのか、ということがしっかりと浸透していれば、不可能と思えるような勝利を得るかもしれません。


己の強みも弱みも知り、勝つための方策と手段を工夫しなければ戦いを挑む前に負けてしまいます(というか相手にすらされない)。
スポーツでもビジネスでも勉強でも、あらゆることにおいて同じではないかと思います。


仕事で置き換えてみると、「己を知る」は、
「自分の仕事とは何か」「仕事の範囲はどこまでか」「自分がやるべきことは何か」「やる必要のないことは何か」「自分に必要なものは何か」
ということを認識し、実行しているかどうかということが言えるのではないでしょうか。


また、「知る」ことは難しく、案外「知ったつもり」なことはたくさんあります。
それに必ずしも「知る」=「理解」ではない。
どうしたら「知る」が「理解」に至るかというプロセスもゆっくり考えてみたいです。
いろんな諸説はあるようですが、「知る」だけだと自分の「理解」にならないので。